名著の構文分析【第五講】

こんばんは

暑かった日々もだんだん涼しく……日によってはなってますよね?これからは、寒さに耐えるために厚着すればするほど朝の電車で暑くなるって苦難の日々が続くと思うとなんかなーって感じです。

 

さて、前回「(このブログではwajin's diaryを)孔子を読んでいるつもりで、私と、きっといつかどこかの世界の誰かのためにだらだらーっと飽きるまで解釈作業を続けていこうかなぁという次第です。」とほざきましたね。あれは嘘です。日々の受験生生活のなかでふと感動したことがあったので、今回はちょっとだけそのお話をします。

 

pq (p,qは相異なる素数…①) の正の約数の和は、 (1+p)(1+q) であるから、 pq が完全数である条件は、

  〈以下数式略〉

 [僕の板書ノートより]

ごくごくありふれた整数問題の答案ですが、私はチョロいのでこんな文章で感動した次第であります。 

例によって部分ごとにわけてダラダラ見ていきます。

 

まず冒頭で、唐突に「p,q」という二文字が設定されます。しかも積の形です。このハッとするような定義は、なんかプログラミングみたいな感じがしますよね。(罠で、プログラミングのことを私は全然わかってません。)

そして、後から括弧内の①のようにp,qが定義づけされています。後ろからの修飾を許容する他の言語体系(欧米語?)の影響を受けているのでしょうか。数学ではよくやる定義の仕方でしょうが、口語の日本語としては不自然な倒置形って感じがします。その中身は「相異なる素数」というものです。実数のうち、例えば0から10までの無限の数のなかでは2か3か5か7かの四択まで絞りこめるという恐ろしい縛りですね。

さて、その後でこの無限個まで絞り込めたp,qの組全てについて①を活用してpqの正の約数の和を求めると宣言しています。ここまでが一つ目の読点で区切られています。

 

その結果は「(1+p)(1+q)」に他なりません。いつもの通りの発想です。

そして、今度は直前で求めた結果を活用して、pqが完全数である条件(これは問で求めるべきものにあたります)を求めると宣言していきます。

んで、以下それを示していくわけですが……

 

ええと、まぁこんなダラダラ話は極論どうでもいいです。素敵なのは、利用する条件と目的を明示した後に数式を提示するっていう文体の読みやすさなわけです。これが「前提→目標→実験」という流れだと認識すると、theレポートって構成だともいえます。論理的に頭が働いた順番に、過不足なく思考の過程を叙述したともいえますね。分量は多いですが論理的な面から躓くことなく頭の回り方を再現出来ます。復習しやすくてたまらん!というわけですよ。その思考回路を身に着けられればいいのですものね。

 

 まあそんなことが駿台であったけど今日は比較的気分的にはハッピーでした それははじめての大数ゼミがあったからです 入塾試験は解けるものと解けないものの差が激しくしかし比較的簡単だったので舐めていました そしたらまあ難しいこと そして解説を聞くとすんなり解けるじゃんっとなり自分の力の無さを痛感しました おそらく点数は最下位だと思います しかしまだまだ学ぶことがあるというということが明確になったので明日からの勉強のモチベーションが一段と高くなりました

 [はじめまして - akipippi’s blogより引用]

 思考の過程が見事にそのままに表現されている文章として他にこの一節を紹介することにします。指示語と接続詞がかなりの頻度で散りばめられていて、文ごとのつながりを捉える教科書に載せられるんじゃないかって勝手に思ってます。こういう文章が英訳問題に出てくると方針立てやすくてちょっと解きやすいのかも!?なんにせよ、読み手は書かれた順番、書かれた通りに意味を受け取ってそれで充分な構成となっているこの文章は、読み手にとって負担が少ないといえるわけです。

 

wajin's diaryは罠構文に代表されるように主張に特に力点が置かれたある種説得的な側面が強い文章ですが、今回の2つは打って変わって思考の過程を的確に述べていることが特徴の文章です。akipippiさんの文章、なんだか古文の物語みたいな感じがするんですよね。もしかして物語って過程叙述型文章なんですかね?このblogのタイトル詐欺コワイコワーイですよ……。

最初の引用、これがどなたの板書か?同じ方の授業を受けていらっしゃる方には言うまでもありませんな。

 

そりでは😉

途中に

こんばんは

未だにジメジメした三涼四暑の快適さのなかで、天気に対する不快指数(?)の呑気さはさほど変わらず……。そんな夏と秋の間のビミョーな時期にブログのネタ切れが起こるのは仕方がないんですね。うん、きっとそうです。

四月から毎日欠かさず書いてきた日記も最近書く気が起こらなくなってきたので、まあこれを機に頻度を下げてブログにするか。

 [初投稿 - Down the Rabbit-Holeより引用]

先日、はうさんがDown the Rabbit-Holeを開設されました。これもきっとそういう理由なんでしょう。私はそうなんだと思っておきます。

 

さて、これまで5つほど記事を世に放ってしまったわけです。しかし、これまでにブログの定義付けのようなモノを一度していない。今更ながらそんなことをしていきます。

 

大前提として、これは基本的に日記です。つれづれと日々感じることを書き綴……っていないですよね。無理やり日本古典のジャンル分けにこじつけてみよう。とすると、「漢文日記」と呼ばれるものに近いのではないかと感じます。偉い人、賢い人の言動を中心に記録し、以後の自分のためにするというやつです。(罠で、必ずしも自分のためになっているとは限らないです。)

 

日々のwajinさまのお言葉を解釈していく。これは彼を中心に回る世界を読み解くことに他なりません。wajin中心主義の世界観のもとでは非常に価値の高いことです。

例えば魯国の孔子さま。彼の思想は「儒教」という形で中華世界全体に広まっていったわけです。そして、その中で彼の著作である『春秋』に対する解釈が成立してきました。『左氏伝』なり『公羊伝』なり『穀梁伝』なり。そういったものが湧出したわけです。そうだとされてきたことがあるはずです。

ええとそれで……。現代において孔子に匹敵する方といえばwajinさまであることに疑いはないでしょう。そんなこんなで、孔子を読んでいるつもりで、私と、きっといつかどこかの世界の誰かのためにだらだらーっと飽きるまで解釈作業を続けていこうかなぁという次第です。世界のいつどこにwajin中心主義が広まっていきますかねぇ……?

 

 ブログのタイトルとして「物語」を冠しました。何もかも何もないことです。無責任にものが書けるってもんですよね。だから思ったことと書いてあることが違って、書いたことが思ったことを半端に上書きしちゃってって一貫性のない文字列が生まれるわけです。それでも、書かれたことが大切なんですかねぇ……?

 

そりでは😉

名著の構文分析【第四講】

こんばんは。
もう冬期直前期がどうだこうだ、色々言われてしまう時期になってしまいました。もはや今は冬の前哨戦です。視野を広く予定を建てなきゃーなんて延々言われるし言わなきゃいけないんですよね。(ただ、僕はれいじーなので予定が毎時間リセットされちゃいます)

 

さて、前回みてきた大魔神さんについての記事についてもう少し分析していきます。今回は全体を俯瞰し、記事丸ごとの構造を見ていきたいと思います。

 

前回みた段落が記事全体のキーであることは言うまでもありませんね。なによりも冒頭の「まぁそれはともかく、」がポイントとなっています。これについてはクドいほどお話したので今回は割愛させていただきます。

 

さて、このキー段落冒頭の表現に繋がる最初の二段落についてです。

突然ですが昨日僕は夜の11時に帰宅しました。いやもちろん夜のゲーセンに繰り出したとか夜のカラオケに出向いたとかそういう事ではなく(行きたい)、講習の夜コマが異常に延長したということですね。はい。


本来終わるべき時間は1950なのですが、実際終わったのは2220。うーん🤔🤔🤔

 [延長大魔神 - wajin's diaryより引用]

冒頭の「突然ですが」という表現に唐突さを感じるのは、当然のことです。不意をつくと宣言する表現ですので、読者はその後のお話に驚く義務を背負います。今回ならば、「はぁ?23時帰宅ですか〜?遅ぇですね何してたんでしょう?」って感じです。あまりの不思議さに皆さんこのように疑問をお持ちになるはずでしょう。持ってください。問題提起のために疑問文を用いるというのは世の中広く使われています。ここではそれを応用し、唐突な出だしを用いることで読者の中に疑問文を作り出し、これを通じて問題提起するという仕組みを作っていることがわかります。流石です。

「いやもちろん〜〜ではなく(行きたい)、」は見ての通り譲歩形式です。どんなに目新しくても、どんなに目立っても、どんなに面白くても、譲歩部分に本当に言いたいことをこめるというのは稀です。左の文がその一例です。この部分では括弧内に本音が隠れていることを確認するだけで十分でしょう。

そして、譲歩を受けた後の「講習の夜コマが異常に延長した」が冒頭の突然文に導かれる問題提起の答えにあたります。そしてこれがキー段落でも繰り返されることから分かる通り、この文章のテーマです。

一文からなるその次の段落は、このテーマを展開させています。「2220」時に終わったらそりゃ帰宅時間も23時になりますって。テーマである「延長のしすぎ」に異論を唱える人はもはやいないでしょう。(ところで大魔神さん本人はどう思っていらっしゃるのでしょうか…?)

 

次の三段落は、キー段落冒頭の「まぁそれはともかく、」で一刀両断される脇道にあたります。でももちろん、これはwajin's diaryの洗練された文章の一部なので読み飛ばしていいはずはありません。タイトルに設定されている「延長大魔神」さんの考察を深めていく部分だからです。各段落最終文だけ抜き出していきます。

〜〜(略)〜〜

いや最初からやってくれたなぁと思いましたね。

〜〜(略)〜〜

さっさと時計外せ。

〜〜(略)〜〜

(山奥で修行してそう))

 [延長大魔神 - wajin's diaryより引用]

時間感覚や容姿の点から現世の秩序の外側にいるのではないかと感じざるを得ない大魔神さんが、期待通りのことをしてくださったという事が伝わります。以上です。

 

では、この脇道はどこにつながっていくのでしょうか。ここで今一度キー段落での「イイタイコト」を確認します。

(罠で、彼の夜コマをもう1つ取ってしまっている(絶対変更するからな))

延長大魔神 - wajin's diaryより引用]

この「絶対変更するからな」をもう一度見ていきましょう。「からな」という文末はもはや終助詞認定してもいいのではないかとも思われる口語表現で、「〜〜だから待っていろよな」という意味で使われることが多いです。ある種の命令文ですね。では誰に命令しているのか、この場合は大魔神さんに対してと考えるのが適当なのではないでしょうか。タイトルや脇道により強調されている、現世から乖離したかのような大魔神さんに立ち向かおうというwajinさまの意志が示されていると捉えられます。さすがビックな文豪さまです。

 

以上まとめると、この文章は

   タイトル(大魔神さんについて)

1,2段落(延長について)

   3-5段落(大魔神さんについて)

 というお話につづけ、第6段落で(延長について)の流れに沿ったお話を展開しています。しかし、(大魔神さんについて)のお話も「イイタイコト」への前フリとして有効に機能しており、この文章の構成が高度に練られたものであるという証拠でもあります。流石です。(ただ何となく思いついた事を書いていただけだとしても、それはきっと神の啓示があったからなのでしょう)

 

こう時間と手間を溶鉱炉に投入していると、国語の参考書を書いてる方々って何考えて執筆なさってるんですかねー?って感じがしてきます。加えて、タイトルに「蛇の手と蛇の足」とかつけられないためにも執筆者さんは字数削減の努力をしなきゃいけないんですよね……大変そうです……

 

そりでは😉

名著の構文分析【第三講】

こんばんは
はや夏も終わって涼しく………ならないわけですが、なんとも私は蒸し暑いときには細々したこと全く出来ないもので、エアコンの力を借りなければジメジメの中自滅してしまいそうなんです。


さて、これまでのお話で冒頭末尾の構造ついて軽くお話できましたので、いよいよ文章の内容がどのように表現されているかについてです。wajin's diaryの名文たる理由の一つはその読みやすさにあります。当然みなさんは毎日熟読していらっしゃるでしょうからよくご存知でしょう。その読みやすさを作り上げているのは文章の並べ方に他なりません。

 

もちろん他人(それが将来の自分であることもしばしばありますが…)に読ませることを前提とした文章にとって、読み手に書き手の考えを伝えることが一番の課題です。というわけで、「イイタイコト」がどこにあるかを見ていきましょう。

 

まぁそれはともかく、昨日怒涛の5時間授業を耐えきった僕に怖いものなど何も無いので、明日以降の講習では3時間で終わる喜びを噛み締めながら生きていきたいと思います。(罠で、彼の夜コマをもう1つ取ってしまっている(絶対変更するからな))

延長大魔神 - wajin's diaryより引用]

引用元をご覧になっていただければわかるように、この記事はとある延長大魔神さんがテーマとなっているお話です。引用文中の「怒涛の5時間授業」および「彼」とは無論延長大魔神およびその授業のことを指します。句読点を基準にこの段落を読解していきます。

 

  • 「まぁそれはともかく、」は、前の3つの段落において繰り広げられた大魔神に対する的確な考察を受けた部分です。「《(代)名詞》+はともかく」の表現は《名詞部》が本題で無く、これからの内容が主題であることを示唆する構文であり、早い話、急いでいるときにはその前を読まなくてもよいという筆者のサインです。(罠で、wajin's diaryの場合はちゃんと読みましょう)
  • 「怒涛の〜何も無いので、」は冒頭の転換構文およびその次の「うーん🤔🤔🤔」までの段落の内容を言い換えた部分です。この事からも前3つの段落が内容的に独立していることが分かりますね。そして、ここの「何も無いので、」が構文上のポイントになります。「何も無い」は直接的にはもちろん「世界のいかなるモノであっても怖くない」という視野が広すぎるか狭すぎる様子を表す表現です。しかし、実践的には後でひっくり返されることが多いことから、“罠”の存在を予感させる表現でもあります。(ただ、wajinさまは神の啓示により世界的文豪になる予定なので恐れるものは殆どありません)
  • 「明日以降〜思います。」は内容的に軽い部分です。読者にちょっと息抜きをさせるような心遣いを感じます。まぁちょっとした意志を示している部分になりますね。
  • 「(罠で、」は今回の核となる構文です。直上の部分を“軽い”と形容したのも、この直後に「『罠で』構文」が見え、「何も無いので」と対応していることが明らかだからに他なりません。この構文は直前の内容を否定し、さらに意味的に反対にちかい事柄が真実であるということを示します。この急激すぎる転換は読者の脳内を一瞬かきまわし、強い印象を与えます。さらに、カッコが使われている点も特筆に値することです。もちろん表面的な構文上では、カッコというのは省略しても構わないような本題と関係のないことを述べる際に用います。しかし、そうであるからこそ建前でなく「イイタイコト」に近いことを言うのに適した手段であり、現にこの文章においてそのように用いられています。要らないはずなのに目立ってしまうというのも、「イイタイコト」の強調に役立っています。
  • 「彼の〜取ってしまっている」が、前述の「『罠で』構文」の結びとなっています。もちろん「3時間で終わる喜び」の対になっている部分で、大魔神から逃れられていないことを示します。
  • 「(絶対変更するからな)」は見ての通りカッコで括られています。もちろんこれは先述の通り「イイタイコト」の強調のためで、カッコの深度と呼ぶべきでしょうか、これが一番深いのでこのことがこの段落で一番言いたかったことなのだと解釈することができます。何としても延長大魔神の呪縛から逃れようとするwajin様の心意気が感じられます。

 

すごく長々書いてきましたが、言葉の構造的に文および文章の末尾に重点が置かれるという基本は変わらず、カッコの中に「イイタイコト」は掴みやすくしていらっしゃるということです。

 

金塊も叩きすぎたら剥離片です。こうやってチマチマすぎる読み方するのも考えものですね……。そういえば、最近wajin語が日本語ベースなのではないかという可能性を考えているんです。みなさんはいかがお考えですか?


そりでは😜

 

 

〜〜追記〜〜

この記事を投稿した直後に、wajin様がこの内容に即した文章を書いてくださったのでここでご紹介させていただきます。

明日から後期開講ということでほげーって感じですね。辛い辛い。さらに今週末には判定模試があるそうで。素行が良いのでちゃんと受けます(嘘で、素行がいい人は昨日今日のマーク模試をしっかり受けている(僕は当然ぽやしみ))

 [ブチブチブチっとな - wajin's diaryより引用]

名著の構文分析【第二講】

こんばんは

もうほんと暑いです。リアル天日干しになってしまいます。せめて街中に乾燥剤でもばら撒いて頂ければと思うこの頃ですよもう昇天してしまいそうです。

 

今回も今回とて、頼まれてもないのに文豪の文章の特徴を掴んでいきます。前回は冒頭部分について見ていきましたので、今回は末尾を見ていきましょう。

 

そんな訳で明日はゲーセンに行きます。魔が差したというよりは自分で魔を差した感じですね。いやまぁやっても5クレだし許して欲しい。(なお本来許されない模様)


そりでは😇

 [実戦で実践 - wajin's diaryより引用]

ご覧の通り、文章が終わったら一行開けて「そりでは😇」です。あまねく。単調すぎてタンチョウになってしまう。

 

もちろん「そり」というのは純粋に指示代名詞「それ」が母音変化を起こした結果であります。いわゆる「ぽきたw魔剤ンゴ!?構文」のように「それな」の意味で解釈すべき文脈でもありませんよね。

 

「😇」という絵文字は、ユーザーによって解釈が異なるものであると思われます。これはUnicodeで定義される記号の一つで、「SMILING FACE WITH HALO」と言うそうです。この「SMILING」が天使の笑顔なのか狂気の微笑みなのかによって用法が180°変わってしまっているのが日本を飛び交う電波の中での「😇」の立ち位置なのではないでしょうか。

この場合においては、聖人たるwajin様が天界にお帰りになられる際に私どもに向けてくださる祝福の笑みを表していると捉えるのが自然でしょう(罠で、この聖人さまはユーモアセンスが溢れて大変なことになってるので悪魔の微笑みのつもりで打っているのかもしれません)

 

以上のことより、「そりでは😇」のスラング外しを行うと、「それでは(昇天)」となります。内容が薄すぎて有珠山に溶岩ドームがたくさん形成されてしまいますね。

 

そりでは😜

名著の構文分析【第一講】

こんばんは

 ネカマの先駆者に喧嘩を販売してから数日何も書かないでいるので、なんの為にこのブログ始めたんだろうって感じなんですね。三日坊主の域に到達したいです。

 

さて、その為には文章の書き方に習熟しなきゃいけないわけです。文章は文豪に学ぶのが一番です。ただ、私はそんなことやったことないので分かりません。無責任なんです。

 

それでも流石に文章力は必要だ、そういう訳で、手頃な所にあった先生の文章に学んでみようというわけです。

今回は初回ですので、冒頭部分について見ていきます。まずは非常に典型的で簡潔なものを一つ。

 

こんばんは。

既に夏に入ってから1ヶ月くらい経つんですね。早いものです。

夏は...? - wajin's diaryより引用]

 

文章が「こんばんは」の一言から始まっているのは先生の全ての記事に共通します。このことで、冒頭から困惑を生じさせる唐突さを排除するという表面的効果が自明に期待されます。また、夜時間帯、つまり一番フォロワーが浮上していると思われる20時頃に記事を投稿することで閲覧者増加を見込むという先生の高度な戦略もここに垣間見えます。ええ真似しますとも。(そういえば先生、模試後の皆がネットに集まる時期に記事書くとおっしゃってましたね。)因みに、引用した記事は「こんばんは。」と句点を打っていることが確認される希少な記事であり、注目に値します。

 

「こんばんは」の次に続く文章形式、これは見た目から以下の3通りに分類します。(以下の全ては勿論私の造語ですので気をつけてください)

  1. 時候構文
  2. 転換構文
  3. 連続構文(最初期構文)

 

まず、「時候構文」です。手紙文でいうところの時候の挨拶にあたり、近状を述べる礼儀文的部分です。先ほどの引用がその顕著な例にあたります。三日坊主 - wajin's diary以降、最近ではこの夏に欲を言えばしたいこと - wajin's diaryなどで確認され、今のところ最もポピュラーな構文です。形式としては「こんばんは」から改行して、先生の他の大半の段落分けと違って空行を挟まず(はてなって、改行したときの行間が無駄に広くなるんですよね…)に続けられていることが特徴的で、内容的には本題との連続性がみられます。

今日はフロンティアホールについて書きたいと思います。

Frontier Hall - wajin's diaryより引用]

特に顕著に本題を意識しているのは上の例です。(但し、これは挨拶的要素が欠如しているため意味的には「転換構文」に限りなく近いという見方もできます)「こんばんは」同様、読者へ話題を自然に提示するため用いられる構文であることが分かります。

 

次に 「転換構文」です。形式として「こんばんは」との間に空行が挟まっているという点が区別のポイントで、大胆に突然本題に入っていくことで読者の注意を引くことができる構文になります。

突然ですが昨日僕は夜の11時に帰宅しました。

延長大魔神 - wajin's diaryより引用]

特に上の使用例では「突然ですが」と明記され、構文の性格付けが強化されています。他には確かに絶起ではない、だからといって希起でもない - wajin's diaryでしか確認されていない、比較的新しい構文だと言えます。

 

最後に「連続構文」です。丸括弧内のように、最初期のみでしか用いられていない古典的な構文です。

こんばんは、今週が昨日の短いのだけでは物足りないなぁと思ったので今日も投稿してしまいました。

単調過ぎて... - wajin's diaryより引用]

上の例のように、「こんばんは」の後に読点が打たれ、時候構文的内容が続くのが特徴です。最近では用例がない、化石的な構文です。

 

………このブログはどこを向いて歩いているのでしょうか?まぁ、皆さんの参考になればなーと願うしだいです。

これは基本的に日記です

(*1)鮭もすなる日記なるものを、(*2)もずくの私もしてみむとてするなり。(*3)それの年の3月の10日の、(*4)いつだったかに門出す。そのよし、いささかものに書きつく。

もずく著『駿河台日記』 冒頭より

 

脚注

  • (*1) 世界的文豪(予定)である鮭師のことを指す。とある海藻が師について評して曰く、「まさに偉業、これこそ神の祝福、この希望に満ちあふれた文豪によって多くの人々が救われることだろう」。ちなみに、wajin's diaryはおすすめの勉強ブログである。
  • (*2) 海棲生物である。限界空間で観測されることが多い。屋根とエアコンのある空間でしか活動できないため、光合成は困難である。実は人間だったりする。
  • (*3) 2017年。この日、「私」が「学年」という枠組みから放逐されることが決定した。
  • (*4) 勢いだけで始めたので、早くも設定が破綻した。もぅマヂ無理。切り上げょ…