名著の構文分析【第四講】

こんばんは。
もう冬期直前期がどうだこうだ、色々言われてしまう時期になってしまいました。もはや今は冬の前哨戦です。視野を広く予定を建てなきゃーなんて延々言われるし言わなきゃいけないんですよね。(ただ、僕はれいじーなので予定が毎時間リセットされちゃいます)

 

さて、前回みてきた大魔神さんについての記事についてもう少し分析していきます。今回は全体を俯瞰し、記事丸ごとの構造を見ていきたいと思います。

 

前回みた段落が記事全体のキーであることは言うまでもありませんね。なによりも冒頭の「まぁそれはともかく、」がポイントとなっています。これについてはクドいほどお話したので今回は割愛させていただきます。

 

さて、このキー段落冒頭の表現に繋がる最初の二段落についてです。

突然ですが昨日僕は夜の11時に帰宅しました。いやもちろん夜のゲーセンに繰り出したとか夜のカラオケに出向いたとかそういう事ではなく(行きたい)、講習の夜コマが異常に延長したということですね。はい。


本来終わるべき時間は1950なのですが、実際終わったのは2220。うーん🤔🤔🤔

 [延長大魔神 - wajin's diaryより引用]

冒頭の「突然ですが」という表現に唐突さを感じるのは、当然のことです。不意をつくと宣言する表現ですので、読者はその後のお話に驚く義務を背負います。今回ならば、「はぁ?23時帰宅ですか〜?遅ぇですね何してたんでしょう?」って感じです。あまりの不思議さに皆さんこのように疑問をお持ちになるはずでしょう。持ってください。問題提起のために疑問文を用いるというのは世の中広く使われています。ここではそれを応用し、唐突な出だしを用いることで読者の中に疑問文を作り出し、これを通じて問題提起するという仕組みを作っていることがわかります。流石です。

「いやもちろん〜〜ではなく(行きたい)、」は見ての通り譲歩形式です。どんなに目新しくても、どんなに目立っても、どんなに面白くても、譲歩部分に本当に言いたいことをこめるというのは稀です。左の文がその一例です。この部分では括弧内に本音が隠れていることを確認するだけで十分でしょう。

そして、譲歩を受けた後の「講習の夜コマが異常に延長した」が冒頭の突然文に導かれる問題提起の答えにあたります。そしてこれがキー段落でも繰り返されることから分かる通り、この文章のテーマです。

一文からなるその次の段落は、このテーマを展開させています。「2220」時に終わったらそりゃ帰宅時間も23時になりますって。テーマである「延長のしすぎ」に異論を唱える人はもはやいないでしょう。(ところで大魔神さん本人はどう思っていらっしゃるのでしょうか…?)

 

次の三段落は、キー段落冒頭の「まぁそれはともかく、」で一刀両断される脇道にあたります。でももちろん、これはwajin's diaryの洗練された文章の一部なので読み飛ばしていいはずはありません。タイトルに設定されている「延長大魔神」さんの考察を深めていく部分だからです。各段落最終文だけ抜き出していきます。

〜〜(略)〜〜

いや最初からやってくれたなぁと思いましたね。

〜〜(略)〜〜

さっさと時計外せ。

〜〜(略)〜〜

(山奥で修行してそう))

 [延長大魔神 - wajin's diaryより引用]

時間感覚や容姿の点から現世の秩序の外側にいるのではないかと感じざるを得ない大魔神さんが、期待通りのことをしてくださったという事が伝わります。以上です。

 

では、この脇道はどこにつながっていくのでしょうか。ここで今一度キー段落での「イイタイコト」を確認します。

(罠で、彼の夜コマをもう1つ取ってしまっている(絶対変更するからな))

延長大魔神 - wajin's diaryより引用]

この「絶対変更するからな」をもう一度見ていきましょう。「からな」という文末はもはや終助詞認定してもいいのではないかとも思われる口語表現で、「〜〜だから待っていろよな」という意味で使われることが多いです。ある種の命令文ですね。では誰に命令しているのか、この場合は大魔神さんに対してと考えるのが適当なのではないでしょうか。タイトルや脇道により強調されている、現世から乖離したかのような大魔神さんに立ち向かおうというwajinさまの意志が示されていると捉えられます。さすがビックな文豪さまです。

 

以上まとめると、この文章は

   タイトル(大魔神さんについて)

1,2段落(延長について)

   3-5段落(大魔神さんについて)

 というお話につづけ、第6段落で(延長について)の流れに沿ったお話を展開しています。しかし、(大魔神さんについて)のお話も「イイタイコト」への前フリとして有効に機能しており、この文章の構成が高度に練られたものであるという証拠でもあります。流石です。(ただ何となく思いついた事を書いていただけだとしても、それはきっと神の啓示があったからなのでしょう)

 

こう時間と手間を溶鉱炉に投入していると、国語の参考書を書いてる方々って何考えて執筆なさってるんですかねー?って感じがしてきます。加えて、タイトルに「蛇の手と蛇の足」とかつけられないためにも執筆者さんは字数削減の努力をしなきゃいけないんですよね……大変そうです……

 

そりでは😉