名著の構文分析【第二講】

こんばんは

もうほんと暑いです。リアル天日干しになってしまいます。せめて街中に乾燥剤でもばら撒いて頂ければと思うこの頃ですよもう昇天してしまいそうです。

 

今回も今回とて、頼まれてもないのに文豪の文章の特徴を掴んでいきます。前回は冒頭部分について見ていきましたので、今回は末尾を見ていきましょう。

 

そんな訳で明日はゲーセンに行きます。魔が差したというよりは自分で魔を差した感じですね。いやまぁやっても5クレだし許して欲しい。(なお本来許されない模様)


そりでは😇

 [実戦で実践 - wajin's diaryより引用]

ご覧の通り、文章が終わったら一行開けて「そりでは😇」です。あまねく。単調すぎてタンチョウになってしまう。

 

もちろん「そり」というのは純粋に指示代名詞「それ」が母音変化を起こした結果であります。いわゆる「ぽきたw魔剤ンゴ!?構文」のように「それな」の意味で解釈すべき文脈でもありませんよね。

 

「😇」という絵文字は、ユーザーによって解釈が異なるものであると思われます。これはUnicodeで定義される記号の一つで、「SMILING FACE WITH HALO」と言うそうです。この「SMILING」が天使の笑顔なのか狂気の微笑みなのかによって用法が180°変わってしまっているのが日本を飛び交う電波の中での「😇」の立ち位置なのではないでしょうか。

この場合においては、聖人たるwajin様が天界にお帰りになられる際に私どもに向けてくださる祝福の笑みを表していると捉えるのが自然でしょう(罠で、この聖人さまはユーモアセンスが溢れて大変なことになってるので悪魔の微笑みのつもりで打っているのかもしれません)

 

以上のことより、「そりでは😇」のスラング外しを行うと、「それでは(昇天)」となります。内容が薄すぎて有珠山に溶岩ドームがたくさん形成されてしまいますね。

 

そりでは😜